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猫ねこネコ 投稿者:さくらこ(重田節子)  投稿日: 9月16日(火)14時58分04秒
 夏祭りのはしごのせいか?はたまた ほわほわさんの書き込みのご忠告のとおりか?・・・やっと元気になったさくらこ。皆様 夏バテなどしてませんか?
 (*^_^*)佐野さん 失礼いたしました。重田です。出席番号が近かったので そんな細かいとこまで 覚えていたのでしょうね。あの当時 確かに 花粉症なる言葉はなかったですよね。春先は 目は痒くなるし・・・私も花粉症で悩んでいましたが 近年 『HERB MIX Irakusa with EYEBRIGHT』というサプリメントに出会い 快適に過ごせるようになったわ。

さて 今年二匹目の子猫ちゃんに出会ってしまった。色白の青い目をした しなやかな姿態の女の子です。 どなたか 里親になってくださ〜い!!お願いします<(_ _)> カワイイ映像 ぜひ 見てくださ〜いな。(^_-)-☆  重田節子→富塚→さくらこ 

http://photos.yahoo.co.jp./sakuras47


推薦名流舞踊大会 投稿者:ほわほわ  投稿日: 9月16日(火)01時46分01秒
佐野さんお久しぶりです。佐野さんも観客役だったのですね。私はそこに一緒にいたのだろうか、まったく覚えていないのが悲しい。
山田課長さんの写真では奥の方が日本ではなかったかと思いますが、記憶の確かな方にお任せしたほうがよさそうです。

ところで、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、2B(3A)で一緒だった徳升(旧姓杉田)友子さんが現在、花柳要三郎様として舞踊の世界で活躍なさっています。

来る9月18日、19日に国立劇場(大劇場)でいろんな流派の方が競演する「推薦名流舞踊大会」があります。この大会の1日目の9月18日、「吉原雀」に要三郎さんが出演します。

大分以前に「鷺娘」を見せていただいてことがあります。こういった方面に疎い私が云々言うのは気が引けるのですが、いや、すばらしかったです。以来、お声をかけていただいた時はなるべく見たいと思ってきました。今回は17日も19日も仕事が入っているのにちょうど18日が空いているので行くことができます。楽しみです。

http://www.tokyo-np.co.jp/event/buyou/ に載っています。

あつーい、あつーい、と言ってましたが夕方大雨になりました。
今日は気持ちよく眠れそうです。
みなさま薄着でおなかなんぞだしたりして寝冷えなどなさいませんように。

秋の花粉症 投稿者:佐野弘子  投稿日: 9月15日(月)23時39分50秒
 先日の初投稿に対し、メールを頂き、有難う存じます。さくらこさん、ご本名お教えください。
 記憶には個人差があるものと、驚きました。私のくしゃみのことを覚えていた方がいらしたなんて!今思えば、私の花粉症は中高生時代から始まっていたのかもしれません。当時は花粉症という言葉を知りませんでしたが。一番ひどかったのが、1980年頃で、アメリカのフィラデルフィアのペンシルヴァニア大学で学んでいた時、博士課程の筆記試験を控えた春先、あまりのひどさを、当時ロサンジェルスにいらした西村くみ子さんに電話で嘆いたところ、自然食品店で入手した bee-collected pollen を郵送してくださったのです。花粉症は花粉で制す!蜂が集めた様々な綺麗な色をした花粉をスプーン一杯ほど、オブラートに包んで飲んだところ、不思議にも間もなく治まったのです。くみ子さん、あの節はお世話になりました!今も売られているのでしょうか。目下、秋の草花に反応して、軽いくしゃみを連発しています。残念ながら、若い時より、可愛さは半減したと思います。
 笠井さん、お元気ですか?と問われれば、まあ何とか、というところです。虚弱体質だった割には、よくやっていると言えるでしょうが、ご多分にもれず、年齢的な身体の変化の時でもあります。11月からの90歳になる父との同居を控え、大学という職場で、シニアとジュニアの教師にはさまれて職責が重くのしかかり、また異邦人の学生相手に、苦労の日々を過ごしております。幸か不幸か、定年の68歳(のはず)まで、もうカウントダウンの心境で、これからの1年1年を大切に過ごしたいと思っております。

オリンピック予行練習写真 投稿者:3B課長(山田)  投稿日: 9月15日(月)18時21分50秒
オリンピック予行練習の写真を投稿いたします。忍の人たちがどこにいるか分かりません。記憶をたどる手助けになれば幸いです。

http://photos.yahoo.co.jp/n3c787n2


誤記でした等々 投稿者:笠井由美子  投稿日: 9月13日(土)01時48分33秒
 失礼しました。「船橋」のつもりで「大船」と誤記したようです。船橋で京成線に乗り換えて、あの長嶋の故郷千葉県は佐倉の裁判所に行ってました。
 佐野さん、お元気ですか?私は(まりちゃんもです)、やっぱりアラカルトで終わってしまいましたが、あなたはどうされましたか?
 私が持っていた東京オリンピックの入場行進の写真は、行進している日本代表の私たちを斜め上から撮ったものです。私の隣に山内礼子さんがいたと思います。残念ながら、高校時代の写真はどこに潜りこんだのか見つかりません。入場行進、オリンピック会場でのレスリング観戦の他、浅草六区の映画館で見た市川昆監督の「東京オリンピック」も忘れられません。ポスターもかっこよかったですね。とにかく、東京オリンピックは、高校時代のメーン・イベントでした。
 

カワイイくしゃみ(?) 投稿者:さくらこ  投稿日: 9月12日(金)15時32分06秒
 \(^o^)/お久しぶり佐野さ〜ん。卒業以来でしょうか?ご活躍のご様子は 10年程前に聞いていました(*^_^*)。佐野さんで思い出すのは・・・2Bの廊下側の席で 小柄で可愛い佐野さんが 「クシュン」とホントに小さな カワイイくしゃみをした時 斜め後ろの岡野クンが 嬉しそうに 「カワイイ!」って 笑ってた事。・・・勿論英語の発音が綺麗な事とか 正しい日本語をしっかり話す才女のイメージはありました。今の佐野さんが その当時から伺えますね。・・・こんな小さな事覚えているのに オリンピックの開会式の場面は・・・綺麗なアンツーカーと 国名のプラカードを掲げ持って 私達の前を行進していた防衛大のお兄様方の 背が高くて カッコ良かった事しか 思い出せません(^^♪ (やはり 私は当時 学校や勉強とは 違う方向を向いていた生徒だったようです。)観客役がいたなんて ましてや 笠井さんが新聞に載ってという事も 何も覚えていません。アブナイ アブナイ 中高年になってしまった(-_-;)。是非とも 映像見たいものです。期待してます 山田課長さん (^_-)-☆
それと・・・ カジッタさんの忍の校舎の話 寂しいですねェ〜。校名って 上野忍と一緒になって 忍岡になるのかと思ってた。まだ わからないんですね。カジッタさん 稲子さん 相変わらず 鶯渓会のお役 お疲れさまです。稲子さんが美術館に行くと 必ず入るという 大好きなミュージアムショップで マウスパッドを買ったそうで・・・稲子さま 楽しみに待っていますね (^_^)v〜〜〜

オリンピック開会式観客役 投稿者:佐野弘子  投稿日: 9月12日(金)11時23分42秒
 初投稿の佐野弘子(1D,2B,3G)です。HP開設以来、時々拝読しては、懐かしく楽しませて頂いておりました。久し振りに開きましたら、東京オリンピックの開会式予行演習の話題が出ていたようなので、私も一言。
 私は高校時代、よく脳貧血を起こし、電車の中や朝礼などで倒れておりました。それで予行演習当日、担任の森島先生から、「佐野は観客の役をやれ」と言われ、寂しくスタンドからリハーサルを見守ったというわけです。翌日の新聞には、「堂々の日本選手団入場行進」と我が忍岡生の写真が載りました。
 体育の北島先生が女子選手村の(副?)団長を務められた関係で、一人一枚の競技の切符を入手でき、私は水泳を選んで、オーストラリアのドン・フレイザ―選手を見たと記憶しています。今は昔の懐かしい思い出です。
 母校は工事中とか。軽井沢の寮もこの2,3年閉まったままですし、寂しい限りですが、せめてHPや同期会などで、若き日の友情を大事にしてゆきましょう。皆さまお一人お一人お元気で。

(無題) 投稿者:まりちゃん  投稿日: 9月12日(金)10時05分31秒
布施院さん、いいな、パリ。今度は、いったいいくらの宿に泊まったのかしら。

笠井さ〜ん、ひさしぶりですね。あなたの写っている写真が、当時の新聞を飾ったのを思い出しました。今度見せていただきたいです。

大船と船橋、似てない? 記憶なんてそんなもんです。

船つながりですが 投稿者:3B課長(山田)  投稿日: 9月12日(金)00時20分40秒
残暑の埼玉からこんばんは。笠井様お久しぶりです。奥田君のことで、鈴木さんショックを与えてしまい、さらにショックを与えていいものか、40年間抱いてきた想いをコロっとひっくり返していいものか悩みましたが、真実を探求する気持ちは人一倍強い方だと思いますので、お知らせいたします。奥田君は船橋でした。
清水様オリンピックの予行練習の写真は2枚ありました。ただどこに忍の人たちがいるかは
わかりません。アルバムに貼ってあるので近々投稿いたします。では

秋のパリからボンジュール! 投稿者:布施院  投稿日: 9月11日(木)13時43分02秒
日本の皆様ボンジュール!
昨日からパリに来ています。すでに、9/2以降ドイツのDusseldorf、Hamburg、Osnabruck、Krefeld、オランダのAmsterdam、をめぐり、再度Dusseldorfにもどってから再度オランダ、ベルギーを越えてパリまで2000kmのドライブ(と仕事)を終えたところ。3日ほどパリに滞在し、またドイツへ戻り、Frankfurt郊外のTaunusという山の中のメーカーを訪問し、仕上げは再度Amsterdamで展示会をみて帰国予定。ドライブは3000kmほどになりそう。9/2到着して以来猛暑は終わっており、気温は13度。ヨーロッパは早くも秋の気配。シャンゼリゼも落ち葉の舞う季節となりました。Vacationも一段落し、いつものパリの生活が戻ってきているというところですが、観光客はそれでもまだまだ続くパリ。でも僕は観光できているわけではないので、パリ情緒を楽しむ余裕は残念ながらあまりありません。ドイツからホテルに電話をしたらなかなか通じず、自動応答テープが聞き取りにくいフランス語を流している。どうも、電話番号が変わったといっている様子。フランス語はなんどかラジオでトライしたことがあるのですが、いつも数字のところで挫折していたのです。80のことを4・20(カトル・ヴァン)なんて読むし、92にいたっては4・20・12(カトル・ヴァン・ドゥーズ)なんて読むにいたってはノックアウト。なんどか間違ってやっと正しいホテル番号にTelし、英語を話せるかどうかきいたら答えは明快にかつかなり冷たく「Non!」。 「本日は遅く到着するが、キャンセルしないでほしい。同行の中村氏は飛行機でくるので、僕より早く一人で到着するが同氏は英語もフランス語もだめなので、僕の入れた予約番号以外の予約番号を入力してほしい。当初の予約の1泊を3泊にしてほしい。No Smoking Roomにしてほしい。」などを汗だくで「フランス語のようなもの」で依頼。 なんとか通じてわかってもらえたみたい。 到着したら他の客をさておき、小生には懇切丁寧に近所のレストラン情報とか、市内の名所旧跡、見所などを念入りに教えてくれて、まるで別人のような親切さ。 へったくそでも、一生懸命にフランスを話そうとする人にはパリのフランス人は手のひらを返したように親切になります。で、すぐによーし、今度はフランスをマスターするぞ、と毎回思うのですが、できたためしがありません。たしかイタリーにいけば、よーし今度はイタリー語をマスターするぞ、と毎回おもっているのも僕でした。今度はポルトガルにいきそうなのですが……。(布施院)